自分の人生は自分にしか経営できません。
そういう意味では、誰もが皆、経営者と言えるでしょう。
ピーター・ドラッカーの「マネジメント」の冒頭には、
「マネジメントで一番重要なのは真摯さだ。」
と書かれていました。
(だいぶ昔に読んだので文は多少違うかもですが)
当時の僕は、
経営で一番重要なのは何か卓越した能力だったり、
頭の賢さとかかなあと思っていたので、割と衝撃を受けました。
「それだけ知れれば十分」と思い、冒頭の数ページで読むのをやめてしまいました。笑
子供の頃から悩んでいたことでしたが、
そこからは一層、「自分は一体、何に真摯になれるのか」というのが僕のテーマになりました。
しかし、
大学の課外活動などで、人のためだけに真摯になってみても、
本当の意味で報われ、心から甲斐を感じるには限界がある、というのが僕の本音で、
(社会人になった今も、そう思う)
かといって自分の成し遂げたいこと、自分のやりたいことだけに真摯になっていても、
とても孤独で、押し寄せる虚無感には抗えません。
むしろ真摯で無い方が楽で生き易い?
色んなことに挑戦しながら、
薄々そういう仮説を立ててしまった僕は、
「真摯になんて、生きられません」とドラッカーさんに打ち明けたい気分でした。
聖書に出会う直前は、まさにそのような心理状態だったのです。
そういう本音を打ち明けられたのは、
それまで多くの時間を過ごした大学の友人たちではなく、
出会って間もない、聖書を教えてくれた人、共に聖書を学んだ人たちだったので、
やはり聖書に出会ったのは必然だったのだなあと思います。
聖書に出会い、まず衝撃だったのは、
真実で完全な愛というのは、神様と人間の間でのみ存在するということ。
もちろん人間同士でも愛し合いますが、本当に真実で完全とは言えない。
そして、真摯さとは、
結局、真実な愛からしか生まれないということ。
心から会社を愛する人は会社に忠誠を尽くすでしょうし、
心から奥さんを愛する人はその人の願うことをしてあげたいと思うでしょう。
神様を心から愛すれば、
自分に向けられた神様の計画、
神様が自分に願うことをしようと思います。
自分自身を自分よりもわかっているのは創造主神様なので、
神様が自分に願うことをするとき、
自分が本来の価値を発揮し、輝きます。
輝くからこそ、自分も自分の特性がわかるようになり、一層真摯になる。
そしてその真摯さは永遠なる神様と繋がっているため、虚しくもありません。
ドラッカーさん!
神様を愛さずに、真摯になんて生きられません!
名古屋主の栄光教会 ジンジャー