働いていると、つくづくそう思います。
今の会社に勤め始めて4年になりますが、
だんだん会社の実態も、会社の内外の話を聞くうちにわかってきました。
他の人の「こうすべき」みたいな意見を聞くと、
「え、そうなのかな」と思ってしまう僕みたいな人間は、
結構色んな人の考えに引っ張られます。
特に昨日は、ある人の話を聞いて、
「この会社でどのように働いていこう。
転職も視野に入れるべきなのかな。」
という思いが改めて強く芽生えました。
神様を知らなかったならば、自分の感覚で独断で進路を決めたでしょう。
そしてその通りの結果が待ち受けていたはずです。
しかし僕は神様を学んだので、今回も祈ったのです。
「わたしがこの会社で働く意義はなんでしょう。」
「この会社で働くべきなら、その気になれるようにしてください。」
すると、今日、
会社のSNSを通してお客さんの嬉しい声を聞いたり、
お客さんのところに訪問して話す中で、自分の会社の事業価値を改めて実感することができました。
仮に、
報酬、出世、かっこよさ、
そういうものが働く意義だったならそろそろ転職していた頃だったと思います。
自然物を取り扱う僕の会社は、
緑豊かな街の景観づくりに直結する事業が中心で、
「人工物ではない、神様の創造されたものを通して多くの人々が神様を感じられるように。」
というのが、僕が働き始めた当初に定めた、僕なりの働く意義ですが、
それをまた思い出す、今日一日でした。
不思議なことに、
会社の、さらに他の良い部分も改めて貴重なものに見え始めてきて、
神様の考えを受けることができたのだなあと思います。
特に、休みが取りやすい。そして(今のところ)残業はほとんどない。
教会での活動も色々やりたい僕にとっては、ここはかなり重要なポイントです。
ただ、それでも、今回のように悩む時があります。
人生というのは、
普通に生きるだけでも、あまりにも大変なことがわかりましたが、
神様と共に生きられるというのがどれほど尊いか、
そうでなかったら、とうに社会生活など放棄していたかもしれません。
辛すぎ。
聖書を学んで、
納得して神様を信じられているので、
周りの人の話は参考程度に、
どれだけ近しい人でも無視すべきことは無視して、
神様だけに集中できたらと思います。
名古屋 主の栄光教会 ジンジャー