野球には「ティー」と呼ばれる練習があります。
お菓子好きの僕は、
コーヒーよりも味を邪魔しない紅茶派なので、
「ティー」という言葉には敏感です。
そういえば、
イギリスで爆買いしてきたヨークシャーティーを、
先日、遂に飲み切ってしまった。。。
Amazonの輸入並行品でしか売っていない。。。そして高い。。。
ミルクに合い、濃くて若干渋みのある、
お値段お手頃な紅茶は何としてでも見つけ出すとして、
今日は紅茶の話ではありません。
ティー(バッティング)の話です。
我が中日ドラゴンズと優勝争いをしていた頃の、
阪神タイガース。
当時の助っ人外国人で、マートンという選手がいました。
ホームランこそ少ないものの、
走攻守の揃ったオールラウンダー選手。
特にバッティングは、
無理に引っ張る(外国人に結構ありがち)こともなく、
変化球にも対応してコンスタントにヒットを打っていたイメージです。
ちなみにジンジャーが大学生の頃、
友人と甲子園に阪神巨人戦を観に行ったとき。
巨人の澤村(現ボストンレッドソックス)が投げ、
マートンの打ったボールがスタンドにいたジンジャーのもとへ。
観客席に当たって勢いよく跳ね返ってきたボールでしたが、
自分でも「よく反応したな」と感心するほど、
無心に手を伸ばし、奇跡的に素手でキャッチしたジンジャー。
その時から、マートンには勝手に縁を感じています。笑
嬉しくて、中日ファンなのにマートンのTシャツ買いました。笑
そのマートンが、ある日、テレビで特集されていたことがあります。
マートンファンとしては見逃せないと思い観ていると、とても参考になりました。
マートンが試合前に特に重点的にやる練習が、他でもない、
「ティー」だったのです。
ティーバッティング、通称ティーとは、
滑車のついたゴムパイプ(高さ調節可)にボールを乗せ、
それをただ打つ、という練習。
「え、止まってるボール打って意味あるの」
あるんです。
僕も、子供の時にはわかっておらず、とても後悔しています。
球が速かろうが遅かろうが、
ピッチャーが投げ、ボールの軌道が見えた瞬間、
それに合わせたバットの振り方のイメージを瞬時に頭に描き、
そのイメージ通り、実際にバットが振れれば、当然ながらバットはボールに当たります。
問題は、イメージ通りに体が動かないこと。
イメージ通りに体が動けば、ボールが速くても、急に曲がっても、割と対応できます。
だからマートンは、
あらゆるコース、軌道のボールを想定してゴムパイプの位置、高さを調整し、
「ここにボールが来たらこう打つ」というイメージと、実際の体の動きの感覚を、
試合前にいつも確認していたそうです。
なぜなら、人間の感覚はいつもズレるからです。
今朝の、僕の祈りの感覚もズレまくりでした。
ズレていることにも気づかないでいると、
「まあ自分はこんなものだ。祈りは難しい。」で片付けてしまいがちですが、
今日、続けて祈っていると、
「ズレた感覚は毎日調整しなければならない。」
そういう風に考えが変わりました。
ああこれは神様が悟らせてくださったなと、感謝しました。
そこでマートンを思い出したわけです。
マートンの特集を観たのはだいぶ前、聖書を学ぶ前でしたが、
それを通して神様が僕に学んで欲しかったことは、
誰でも、毎日を生きる中で、感覚を続けて調整しなければならない、
ということだったのかなあと思います。
ズレた感覚を戻す中で、神様との経緯も生まれるのだと思います。
ズレなければ楽ですが、それだと人間味のカケラもありません。
「本当にすごいな」と思う人は、いつも変わらず行ない続ける人。
でもそういう人たちだって、毎日感覚がズレるのは例外ではありません。
その中ですべきことを毎日するのが、すごい。
毎日、地球が周るように、すべきことを行ないなさい。
ズレた感覚を戻す、というよりは、
その日の感覚の中で神様を探す、という意識かもしれません。
ズレるというのは言い換えれば、変化しているということ。
それを歓迎して、新しい姿で毎日、神様と出会えたらなあと思うわけです。
しかし、今年の阪神、強いなあ。。。
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