先日、ついにコロナワクチンを打ちました。
「よしこれで恐れるものはない」と思ったが束の間、
一回目の接種から発熱、会社に行けないくらいのだるさが1週間くらい続き、
結構いい感じで築いていた生活リズムも総崩れしました。
副反応含め、イレギュラーなことにも対応できる生活習慣を!
という強い意気込みで生活していた分、動けなくなった時のメンタル的な反動が大きく、食事を気にするとか運動とか、どーでもよくなってました。笑
こうなると止まらないわたくし、夜眠れないのもあって、色んなことに対してやる気を無くし、副反応終わってからというもの、うつ病のような感じで過ごしていました。
「うつ病になるのは、自分の思う通りにならないから」とは、聖書を教えてくれた牧師先生の言葉ですが、本当にその通りだと思います。
「こういう生活をしよう」というイメージに向かってひた走っており、「これ以上生活の質の改善は無いな」と思うくらいまでいき、割とうまくいってましたが、
副反応(すべてこれが原因とは思っていませんが)をきっかけに総崩れした時、「万策尽きた」と思っていました。
頑張りたくても自分の中では万策尽きているので、「自分の思う通りにはなら」ず、うつ病まっしぐら。
そんな私を救ったのが、こちらの御言葉二つ。
ひとつめ、
神様の御心通りに自分をつくりなさい。
日曜日の礼拝で語られていた言葉でした。
聞いた時は「ふーん」という感じ(ごめんなさい)でしたが、
月曜日の朝、出勤時間ギリギリ(最近早起きはやる気がありません)に目覚めた時に、
「うわ、そうか!自分の思う通りじゃなくて、神様の願う通りに自分をつくればいいんや!」
と何故か急に自分の考えに深く刺さった御言葉です。
「このように生活しよう」というような、一種のセルフイメージは、努力するモチベーションにはなりますが、それを自分の考えだけで型作ると、自分を苦しくさせてしまうなあと感じたわけです。
「自分の考えによるセルフイメージ」を捨てようと思った時、とても心が楽になりました。
神様の考えに合わせようとすれば、神様に祈るようになりますし、神様に祈れば、自分のことをこの上なく愛していることが感じられます。
「自分は何て足りないんだ」と感じるとしても、大前提として完全な愛がそこにあることに気がつきます。
自分の考えによるセルフイメージに合わせようとすると、ただただ孤独で、しかも上手くいかず、思う通りにもならない。
うつ病の道に行かないようにするには、ひたすら「神様の御心通り」つまり「神様と共にする」ことなのだなあと改めて思いました。
もちろん、神様と生きていても、うつ病のようなものは押し寄せてきますが、そんなに大きくない、プチ鬱、プチプチくんのようなものです。
こういうのは考え次第で(特に神様にお祈りをしていない時)とてつもなく大きくなりますが、神様の考えで見れば、プチプチくんのように潰せる小さなものだと感じるから不思議なものです。
そして私を救った御言葉、ふたつめ。
終わったと思うな。「無限大」が残っている。
コンディションを常に保ち続ける生活習慣を目指して、「できることはすべてやった」と思ってましたが、それでもうまくいかず、
「え、もうやることないやん」となってましたが、神様の考えは違いました。
この御言葉を聞いてから改めて自分の生活を見直したら、確かにまだ改善の余地がありました。
主に運動と食事の質と量(結局今回もこの問題に戻ってきた)ですが、要するに、まったくどん詰まりではなかったことに気がついたのです。
「まだ良くなれる」という希望が人を動かし、
その考えはひたすら神様から来る、ということなのだと思います。
もし、しばらくしてまたダメだったら。。。
そのときはまた、ブログを書きます。
名古屋主の栄光教会 ジンジャー