お正月は、中学校の同級生に会ったりしていました。
地元が近いのもあり、何となく家族のような繋がりのある彼らから、
「ジンジャーはどういう流れで聖書学び始めたの?」
と聞かれることは、少なくありません。
改めて、それについて自分で考えましたが、
やはり僕は、ビックバンに行き着きます。
宇宙はビックバンで生まれました。
じゃあ、ビックバンは何で生まれたの?
ビックバンの、その前が無ければビックバンは無いし、宇宙が無ければ自分も無い。
おれって、ちゃんと存在してるのか!?
でも体は触れるし、「おれ」って言ってる時点で存在はしてる。
でもそうなるためには、ビックバンの前の何かが無いと、説明がつかん。
それって一体!?
という堂々巡りを、永遠と繰り返していたのが、中学校時代の僕です。
わからなさ過ぎて、親父に聞きました。
「将来調べてみろよ。」と親父には言われましたが、聖書を学んだ結果、創造主、という存在に行き着きました。
ここで僕の、神様観が変わったのです。
スピリチュアルな神様ではなく、
無から有を創造する創造主、はじめから「有って有るもの」、神様。
ずっと疑問だったビックバン問題が解けたこと以上に、神様との出会いが、僕の中ではビックバンでした。
神様は目に見えませんが、神様のことを考えれば、自分の考えを通して通じることができます。
神様と通じれば、勇気が湧いたり、暖かい気持ちになったり、考えが良い方に変わったり、
その結果、目に見える何かを得ることができたり。
振り返って初めて、あの時、神様と考えで通じたのだなあとわかることがあります。
考えることは誰でもできますが、それを使って、ビックバンを超えた遥か彼方、天国の神様と通じることができるなんて!
考えは、自由な分、遊ばせることもできますが、
天宙的な神様と通じる、ロマン溢れる使い方をしたいものです。
「考え」を意識して、充実した一年になりますように!
名古屋 主の栄光教会 ジンジャー