聖光学院という私立高校の教育に関する記事を見ました。
ある先生のインタビューが印象的でした。
「最近は新書や文庫を読みあさって自分の考えを語るような生徒が減りました。
そういうタイプの生徒ほど、低学年のうちはさほどの成績でなかったとしても最後にはぐーっと伸びて、テスト勉強ばかりしていた生徒たちを追い抜き、
東大に楽々と入っていくんですけどね。」
夏の高校野球のイメージしかありませんでしたが、
調べてみると、キリスト教の学校みたいですね。
結構おもしろい考え方だなと思い、
ここで語られている、
本を読みあさって自分の考えを語り、最終的に東大に入学した高校生の人生に、
勝手に思いをはせてみました。
テストの点数だけ気にするような人からは、
「そんな本読んで何になるの?」と言われたかもしれません。
「なんか色々考えてるっぽいけど、東大は無理だろ。その点数じゃ。」
そんな目で周囲に見られたかもしれません。
かく言う私ジンジャーも、
大学生時代、納得できる文章が書けなくて論文がまとまらず、
教授からは「お前はどこに向かおうとしとるんや」的な顔をされ、
見かねた友人からは、「お前は、考えすぎやねん」。
まさに、迷走期でした。
どうすれば、
戦争がなくなり、
本当に人間が幸せに生きれる社会にできるのか?
僕の専攻は、スポーツ社会学でしたが、
スポーツを通して平和な社会がつくれると本気で思い、
昼休みも、友達とは距離を置いて図書館にこもっていました。
しかし、本気で調べてみると、
スポーツそれ自体に、そこまでの力はない。
いや、多少はあるかもしれないけど、
そもそも「幸せ」の定義が、大学の図書館にはありませんでした。
そして、遂に聖書に出会うわけです。
東大には入れませんでしたが、神様を信じることができるようになりました。
聖書を、わかって読んでみると、
まさに混沌とした世の中を貫く、剣のような(実際に神様の御言葉は剣に喩えられています)、
「ああ、これを真理というのか。」
衝撃を受けたのが懐かしいです。
もし、あそこで、考えることをやめてしまっていたなら。
僕の周りには、すごい人がたくさんいました。
夏の甲子園に出場した人、プロサッカー選手になった人、
文字通りケタが一個違うほど稼ぐセールスマンになった人、
しかし、神様をちゃんと信じてる人は、一人もいません。
(時が来たら必ず、彼らにも聖書を薦めたい)
他人から何か悪口を言われるよりも辛いのが、
「自分は一体どこへ向かっているんだろう」と自分の中で不安になることですが、
それでも自分の考えを持って、納得しながら進むのが、ベストの道なのだと思います。
確信が持てるからです。
初めは、点数に結びつかなくても、
「お前、考えすぎやねん」と言われても、
確信を持って生きられる人にとって、
途中の障害は、むしろ演出。
困難は「経る」ものだから、楽しんでやりなさい。
ずっとその世界にいるわけではない。
聖書を教えてくれた牧師先生の半生も、壮絶なものでした。
ここには書けないくらい、壮絶。
そして今では、僕のような一人の人間の人生を根底から変えています。
ドラマチックに、生きたいものです!
名古屋 主の栄光教会 ジンジャー