おいしいシリーズ:味のある思い出をおいしい食べ物と一緒に回顧するシリーズ。
わたしが聖書に出会う前に何をしていたかというと、
様々ありますが、ひとつは、バンドでエレキギター弾いてました。
高校三年生の時に同じクラスだった、わたし含めた四人組が偶然にも同じ大学に進み、
その四人でバンドを結成したのです。
それまで親の下で暮らしていた四人にとって、
大学生活は希望に満ち溢れていました。
初めての一人暮らし、
初めてのサークル活動、
そして四人で始めたバンド。
買ったばかりの楽器を持って臨んだ初めてのスタジオ練習は、天国のようでした。
「どんな音楽が弾けるようになるのだろう」と思うと、ワクワクしました。
大学のスタジオの予約が取れるのは夕方以降が多いので、
練習後は決まって四人で一緒にゴハンを食べてました。
「今日、なに丼にしよ」
帰り道では既に、すき家に行くかどうかではなく、
すき家の豊富なメニューのどれにするかが話し合われていました。
結局はチーズ牛丼か、ネギたま牛丼に落ち着くのですが、
回数としては全メニュー余裕で制覇できるくらいの頻度で通っていました。
大盛りの牛丼を頬張りながら、
「あのミュージシャンのあの曲がいい」
「あの部分のドラムの入り方がいい」などなど語り合い、
どのくらいの時間、共に過ごしたかわかりません。
当然ながら、どれほど夢ふくらませようとも、個人のレベルアップが欠かせません。
ベース担当の子以外は初心者だったので、「とにかく練習」というのが四人のテーマでした。
僕はエレキギターだったので、音さえ出さなければそれなりに家で練習できましたが、
問題はドラム。
フツーの大学生が、ドラムの音を跳ね返す壁の分厚いアパートに住めるはずもなく、
ドラマーの練習をどうするかが、バンドの課題となりました。
もちろん、大学のスタジオは自己申告すれば個人の使用もOKなので、
騒音を気にせず、備え付けのドラムセットが自由に使えます。
しかし、肝心のドラマー本人は、
「いや、(バンドサークルの)先輩も使いたいだろうし、一年生の分際で自ら使いますとは言いづらい」と、
何とも歯切れの悪い様子。
「じゃあどうするんだ?サイレントドラム買って家で練習するのか?」
僕ら三人はドラマーに詰め寄りました。
そう、便利なこの世の中には、
ゴムでできた、叩いても大きな音が出ないサイレントドラムというのがあります。
ヘッドホンで繋ぐと本物のドラムの音が聞こえるという。
しかし、やはり高い。今なら安いものもあるかもしれませんが、
当時は初心者用でも10万円くらいが相場だった気がします。
「10万はキツイなあ。」
さすがにそんな高額なものを「買え!」とは言えない僕らでしたが、
かといって積極的にスタジオ個人練習をしようとしないドラマーに苛立っていました。
スタジオの予約はバンドサークル全員が集まるミーティングで挙手制、
被ったら大人の譲り合いもしくは公正かつ絶対的正義なジャンケンで決められるのですが、
手すら挙げないドラマーに僕らは小声で「手え挙げろ!いいから!」と小突いてましたが、
なんやかんやしているうちにドラマーはサイレントドラムを買いました。
確か三人が一万円ずつ出したような。。。あまり覚えていません。
すわここから練習漬けだ!と思いきや、
サイレントドラム、叩くと意外とポコポコ音がうるさく、
バスドラ(足元に置いてある大きめのやつ)は下の部屋に響きました。
「住民から苦情が来た」とのことで、結局、
サイレントドラムは洗濯物干しと化してしまいました。
気がつくと、ドラマー以外の三人ですき家に集まるようになってました。
「あいつが変わらないと何も始まらないな」
そんな空気がドラマーにも伝わったのか、
スタジオ練習はちっとも天国ではなくなっていました。
僕は僕で、「スタジオ個人予約取らねーなら苦情なんか恐れてないで部屋で練習しやがれ!」という思いで、
あえてドラマーの部屋でエレキギターを掻き鳴らしたりしてました。
その場にいたボーカルに「おいジンジャー、やめとけ!」と叱責されました。ごめんなさい。
若きエネルギーが、同じ方向を向くというのは本当に難しいことだと思います。
逆にそれができれば、何だってできるのではないかと思います。
結局、バンドは解散することになったのですが、
その決定打はドラマーのブログでした。
当時はまだTwitterなどは出始めの時期だったので、
個人で(もしくは友達と)簡単なホームページを持ち、そこにブログや、つぶやきを投稿するというのが主流でした。
ホムペ、と呼ばれていた。懐かしい。
ドラマーはある日、ブログに、パスワードを入れないと読めない記事を投稿したのです。
そのパスワードを破ったのがボーカル。
確か、ドラマーが高校の時に好きだった女の子の誕生日だったような。。。
ボーカル曰く、「すぐ解けた」そうです。笑
その記事は、まさに闇のようでした。
まず、ベースの子の悪口から始まり、
「あいつはまじでない。かっこつけるためだけに音楽をやってる、中2だ(中学二年生のようだ、の意)。」
などなど。
さらにジンジャーへの悪口も。
「ジンジャーも女にモテたいからやってる。」
これには、当時ドラマーが密かに思いを寄せていた女の子とジンジャーが割と仲良かったから、という背景があったようです。
要するに、話にもならないことでした。
しかも、番長的な存在だったボーカルのことは、怖かったのか一切触れておらず。
「おれのことはノーコメントかよ!」とボーカルはもはや笑っていました。
雰囲気の悪くなっていたスタジオ練習は地獄のようになり、
パスワードが破られたとは夢にも思っていないドラマーには内緒で、
僕たちはバンドを解散することを決意しました。
三人で、ドラマーに「解散しよう」と告げたのは、二年生になった春、
バンドサークルの夜の花見イベントで、桜の下に集まっていた時でした。
すべてを知ったドラマーはその場で泣き崩れ、
僕らが四人で成そうとしていた希望は桜の花のように虚しく散っていきました。
未だにそのシーンは覚えていますが、今思うと、
四人で、一度でもいいから、腹を割って話せていたのか、疑問です。
あれだけ同じ時間を過ごしながら、本音で対話できていなかったのかもしれません。
彼は彼なりに、自分の考えで僕たちの姿を形づくってしまい、
僕たちは僕たちで、彼を「行動できない意気地なし」とだけ見てしまっていたのかもしれません。
悪いイメージは、同じ意見を持つ人同士で集まるとさらに膨張していきます。
自分中心の考えで、ひとりで考えていても、同じように膨張していきます。
一年経った頃には、当時のことを話してお互いに爆笑できる仲に回復できたので良かったですが、
僕たちが成そうとしたことは結局、うまくいきませんでした。
環境も大事ですが、いくら恵まれた環境があっても、
各自が立派な考えを持った人間に成長してこそ、すべてがうまくいきます。
本当の天国というのは、目新しいものに囲まれるようなことではなくて、
どのような考え、行ないで生きるかだと僕は聖書を通して学びました。
大学時代の話を書くたびに思うのは、
共に過ごした仲間たちが、もし神様の御言葉を学べていたらどうだっただろう、
ということです。
↓こちらで書いたような野球メンツも含め、
愉快で元気で気質もあって、僕らなりにやるべきことをやって、
本当に楽しく生きていました。
しかし、神様の御言葉で僕ら自身をつくることができたならば、
バンドだって野球だって何だって、もっと理想的な世界を実現できました。
僕は御心あってか、彼らよりは先に聖書の御言葉を学びましたが、
いつか必ず、彼らにも御言葉を教えてあげたいと思います。
自分を理想的につくってこそ、地上にも天国が成されるからです。
名古屋主の栄光教会 ジンジャー