小学校の時の一時期、
お風呂は必ず祖父と入っていました。
目的は、「じいちゃんの昔話を聞く」ため。
ひとつには、
昭和2年生まれの祖父が見た世界を垣間見たかったということ。
そして、祖父の話を聞いていると、
自分が生きているのって奇跡か、
と子供ながらにも思うことがいくつかありました。
一度の入浴時間ですべては語れなかったので、
数週間かけて、それこそ連続ドラマのように、
祖父の少年期からの話を聞いていました。
ジンジャーの少年時代は、集まって野球をするにも、
場所探しで一苦労だった名古屋でしたが、
祖父の時代は近くの練兵場(兵隊が訓練する場所)など、遊ぶ場所には困らなかったそうです。
僕は家で遊ぶよりは外で遊ぶ派だったので、その点では結構羨ましくもありました。
しかし第二次世界大戦になると、名古屋にも大規模な空襲が。
いつも遊んでいた練兵場から上がる真っ黒な煙を横目に、
祖父は生まれ育った家を離れ、避難を余儀なくされました。
疎開地から家に戻ってくると、
なんと祖父の家の隣から先が、すべて焼け野原。
空襲被害を受けなかったエリアの際の際だったようです。
奇跡的に家は残ったものの、
前年から対象年齢が19歳に引き下げられていた徴兵により、
18歳の祖父はその事前演習として海軍に配属されます。
勤務地は、海軍兵学校のある、ヒロシマ。
時は1945年です。
軍隊は「本当に大変だった」そうで、
ある人は、一体どんなことをしたのか、
ロープで縛られて逆さ吊りにされ、
上官に鞭で打たれ、気絶したら水をかけられ、
意識が戻ったらまた鞭打たれていたそうです。
広島にいた夏は、
米軍の空襲対策として、高射砲の訓練をしていたそうです。
上空を飛ぶ戦闘機を撃ち落とすため、陸上に設置された大砲です。
偵察で広島上空を飛ぶ米軍戦闘機を見つけては、撃ち落とそうとしていたみたいですが、
10,000メートル上を飛ぶB29の、はるか下で砲弾は爆発し、
結構しらけた空気になっていたようです。
そして8月6日、いつものように、
山に設置された高射砲の訓練をしていると、
急に空が光ったそうです。
「なんだなんだ?」
そこにいたみんなが訓練の手を止め、
光った方角、広島市街の方に目を向けていると、
「熱風がな。爆風っちゅうんかな。あつーい風がぶわっ、と来てな。
そしたらおっきな煙がぶわーっと上がってな、もう訓練は中止になったんだわ。」
そう語る祖父は、後日、広島市内へ行ったそうですが、
当時の市内の様子は、みなさんもテレビなどでご存知かと思います。
調べてみると爆心地から3km以内は熱や爆風で壊滅状態だったそうですが、
祖父が訓練していた山は、広島市内から20km、
「死のエリア」から辛うじて17km離れ、祖父は無事に終戦を迎えました。
しかし放射能の影響は祖父にも残っていたそうで、
何度か入院していたのを覚えています。
それでも90歳を超えるまで生きてくれました。
神様は100年前の先祖の代から自分を顧みてくださっていますが、
名古屋空襲、
原子爆弾、
放射能、
本格的に徴兵されずに終戦を迎えたこと、
それらすべてのことから、
わが家系を守ってくださり、本当〜に感謝します!
死に目に遭うところから未然に防いでくださる神様なので、
上に挙げたこと意外にも僕が気付いてすらいないことがたくさんあると思いますが、
結局、人間の命は人間にはどうすることもできないのだなと思います。
僕に聖書を教えてくれた牧師先生は、
軍隊の特殊部隊に所属し、敵との戦闘で数多くの死ぬ目を経験されたそうですが、
祈りと実践の生活の上に、神様が直感や悪夢を通してメッセージをくださり、
死ぬしかない状況から何度も助かったと、当時の話を語ってくださいます。
平和な日常に生きるジンジャーも、
神様が祖父を守ってくださらなかったら存在してませんし、
戦争に限らず、生活の中の様々な危険から避けるようにしてくださらなければ、
今日にでも死にます。
普段は忘れがちなことですが、
わかって、感謝して生きれたらと思います^ ^
名古屋主の栄光教会 ジンジャー