まいにち
まいにち
ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて
いやになっちゃうよ♪
これはおかんに教えてもらった「およげ!たいやきくん」という唄だ。
令和どころか平成でもなく、昭和のヒットソングである。
月曜日の出勤前に、同居人とこの唄を歌っていると悲しくなってくる。
今日も鉄板のような世の中で、焼き入れられるように働いて、
毎日毎日、ほんと嫌になっちゃうよ。
子供向けながらサラリーマンの心情にも突き刺さる、
レコード売上枚数、暫定日本一なのも頷ける。
結局、たいやきくんがどうなるかというと、
鉄板の上が嫌になって海に飛び出し、
一時は楽しく自由に暮らすのだが、
釣り人のおじさんに釣り上げられて食べられてしまう。
最後の言葉は、
「やっぱり ぼくは たいやきさ すこし こげある たいやきさ」
なんとも切ない。笑
僕たちも、神様を信じるからといって、環境だけ見ればたいやきくんと何ら変わりはない。
鉄板のように味気ない世界で、(たいていは自分の矛盾によって)火を通されるようにイタい時もある。
正直、嫌になっちゃうことの方が多い。
しかし、だ。
たいやきくんと決定的に違うことがひとつある。
神様を信じている、ということだ。
それはつまり、死後の永遠な世界を信じているということだ。
神様の愛の中で永遠に生きるためにその苦痛を受けている。
だからその苦痛は、受けて当然のものです。
神様の愛の大きさは、深さは、言葉で表現しきれません。
「ある程度は神様を信じて生きたから、早く死んで、味気ない人生にさっさとおさらばしたい。でも自殺は絶対ダメだから、どうしよう。」
誰か、僕と同じことを考えたことがあるだろうか。笑
仮に辛いことが無かったとしても、味気ない毎日の中で神様を見つけて生きるのが、自分の状態によってはとても難しい。
こういう状態になると、けっこう苦労する。
しかし、そのような労苦も、神様の世界で生きる限り、虚無に終わることはない。
自分たちがまだ計り知れていない神様の愛が待っている。しかも永遠だ。
そしてすべてをご覧になっている神様だから、「あの時あんなことがあったね」。
大変な部活ほど、OB会が盛り上がる原理である。
だから誇りを持って、明日も鉄板の上で焼かれようと思う。
名古屋 主の栄光教会 ジンジャー