土曜日のブログを書いた翌日、つまり日曜日、 聖書を共に学んでいる人たちと野球をしました。
神様を学んだ上でスポーツできることに、いつも以上に感謝しました。
一つ思い出したことは、 例の怖かった監督が、チームを去った時のことです。
これまで練習には顔を出さなかったオーナーがコーチになるということで、 そのオーナーのことが嫌いだった監督は、「一緒にやりたくない」という理由でチームを退団。
僕たちコア・フォー(自称)が学年的にもチームの中心になり始めていた矢先でした。
オーナーのことは表向きで、もしかしたら、 僕らを指導する方向性がつかめていなかったのかもしれません。
僕の2つ年上の世代に対して、監督は殴る蹴る罵倒する、
少しぽっちゃりして走るのが苦手な選手は1日中ランニングさせ、
そして「先輩の命令は絶対」の時代でした。
選手もそれを受け入れていました。
しかし、僕の世代くらいからは様子が違ったのです。
個人個人を見ると実力のある年代っぽかったですが、 割とのんびりした、マイペースな感じでした(特にわたし)。
そして、その実力を引き出したくても、接し方がわからない。
殴る蹴る、という気にもなれない。のれんに腕押し、という感じ(表現が難しいですが)。
監督、そして2つ上の先輩にとって、僕たち(特にわたし)はそのような扱いづらい世代だったと思います。
僕のただのイメージなので、確かめる術はありませんが、結構当たっているんじゃないかなあと思います。
この世代間のギャップは、 大学時代のバイト先でも感じました。
僕は1991年生まれ、 2つ上は1989年、
1990年を境に、何かが変わったのではと勝手に思っています。
2000年は恐らく、もっと違うのかと。。。
監督の最後の日、 チーム内で2チームに別れて、お別れ試合をやりました。
ピッチャーは、監督、 キレキレのスライダーで、わたしジンジャーは空振り三振に終わりました。
今でもとてもよく覚えているのは、そのスライダーと、もう一つ。
その日の朝に監督に挨拶すると、 普段は鬼の形相だった監督が、最後のその日だけはとても穏やかな表情で、 「おはよう」と答えてくれたことです。
思わず監督を二度見するほどでした。
「ああ、監督はこういう人だったんだ」 初めて理解した気がしました。
「それなら、そういう監督でよかったのに」と今でも思っているのと、
自分のイメージで、監督を更に「怖い人」にしてしまっていたと気が付きました。
考えで怯えてばかりいると、恐怖心ばかりが大きくなります。 考えによって、誰かの表情も、必要以上に恐ろしく感じてしまうのだと思います。
その人の一部分だけ切り取って、その部分だけ拡大してしまうのは他でもない自分でした。
神様の愛で、その人に接しなさい。
聖書を学んでいると、過去のことが整理され、 人生の全ての瞬間で、神様が僕に何かを学ばせようとされていたことがわかります。
そしてこれからも、それは続いていきます。
愛というのは、まず理解するところから、
神様を誤解しないところから、気をつけたいと思います。
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