ジンジャークッキー

優しい甘さの中にスパイスが効いた神様との日常を綴っていきます。

雨の土曜日は、セミダーツを思い出す。

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通常、週末の雨はガッカリだが

 

「土曜日は一日中、雨の予報です。」

 

子供の時、この言葉を聞くのが何よりも嬉しかった。

普段はニュース番組なんて見ないのに、金曜日の夜の天気予報だけは欠かさず見ていた。

 

土日が雨なら、野球のクラブチームの練習が無くなるからである。

あってもジムに行ったりで、解散して自由になる時間は通常より早い。

 

クラスのみんなは金曜日になると、週末の休みに胸踊らせていたが、

僕のようないわゆる「クラブチーム組」は、

このまま平穏な学校にいたい、ああ、もう帰りの会だ、土日が始まってしまう。

そんな心境だった。

 

「じゃあ週末楽しんでね〜」

笑顔で帰りの会を終える先生にいっそしがみつきたい、

金曜日は毎週そんな感じだった。

 

日曜日のサザエさんが始まると、仕事始めの月曜日が心理的に急接近し憂鬱になるという、「サザエさんシンドローム」というのが世の中のサラリーマンにはあるそうだが、

僕は「帰りの会シンドローム」だった。

 

とにかく監督が怖い。

そして先輩が怖い。

小学校はまだゆるい部分もあったが、

中学校になると世界が違ったのをよく覚えている。

 

「先輩の命令は絶対」

という風習が僕の時代にはギリギリ残っており(今もあるところにはあるだろうが)、

僕は幸いにもちょっとだけ上手かったのであまりターゲットにされなかったが、

チームメイトの一人は先輩のデコピンの練習台にされていた。

 

デコピンならまだマシである。

 

他のチームでは、「セミダーツ」が流行していた。

 

みなさん、わかるだろうか。

「セミダーツ」。

 

後輩を直立不動にさせる

口を開けさせる

先輩が、開いた口をよーく狙って、セミの死骸を投げる

 

被害者は僕の小学校時代のチームメイトで、

加害者はそのチームのエースピッチャーである。

 

名古屋では割と有名な軟式少年野球チームだが、エースピッチャーがそんなことしてるくらいなのでたかが知れてる。

ちなみに僕はそのエースピッチャーと小学生の時に対戦したが、初球をヒットにした。

セミの死骸を投げて威張っているくらいだから、大したことはない。

 

いま会えるなら、

「セミなんか投げてるからボールも軽くなるんだと思いますよ」と言ってやりたい。

いや待てよ、それは神様はどう思うのだろう。。。

 

とにかく、そんな少年野球界がほとほと嫌だった。

 

高校野球界はさらに凄まじく、

強豪校にもなると、先輩に部室裏に連れて行かれ、

帰ってくる頃にはボコボコ、流血、ということは普通なのだとか。

恐らく、このご時世、減ってきてはいるだろうが。

 

中学校を卒業する頃には嫌気がさして、高校は野球を辞めた。

しかし野球は好きだった。

 

何が嫌だったかと言うと、

スポーツを通して根性を鍛える(これ自体は素晴らしいと思う)、

その鍛え方があまりに奇妙だった。

 

「先輩の命令は絶対」という独自の理論に基づくセミダーツは論外だし、

 

監督も監督だった。

選手に厳しく当たるのを悪いとは思わないが、暴力だけは理解できなかったし、

 

真摯に選手に接しているというよりは、

自己満足でやっているような人もいた。

 

ある監督は、

たくさん声を出して頑張っていた僕のチームメイトを、

「あいつはただの号令役だから」

と言い放った。

 

そのチームメイトは、監督から好かれるタイプではなかったが、

頭の回転は早く、表現が尖ってしまう短所はあるが、的確なことを言葉にしてチーム内の誰に対しても伝えてくれる貴重な存在だった(だからチームの正捕手だった)。

 

表現の一部を切り取ってしまっただけで、真意は違ったのかもしれないが、

当時の僕にとって、

いい大人が、冷たい表情で「あいつはただの」と、一人の中学生を短絡的な言葉で表現したことがショックだった。

 

「号令役」のキャッチャーである彼、

抜群のコントロールと緩急を持ったピッチャーの友達A

後に野球で有名な私立高校に行くことになる友達Bがセンターを守り、

そしてショートを守る、わたくしジンジャー。

 

自分で言うのはなんだが、

僕の年代はセンターライン(野球の要と呼ばれるポジション)がしっかりしており、結構強かった。

 

そして四人全員、小学校から同じチームで苦楽を共にしてきた仲間だった。

 

愛知県レベルで見たら全くの低次元だったが、

まるでヤンキースのコア・フォー(わかる人にはわかる)みたいで、当時から密かに自負心を持っていた。

 

しかし、みんな嫌気がさして、そのチームを辞めた。

先輩たちが行けなかった県大会に、おれたちなら行けるんじゃないかと思っていたが、

コア・フォーはバラバラになった。

「号令役」のキャッチャーはその時点で野球を辞めた。

 

 

日本は、子供の頃から、「先輩」や「監督」がでーんと世界を遮っているように思う。

「人」の存在感が大きすぎるのだ。

 

最大の短所であると同時に、しかしながら、それが最大の長所でもあると思う。

 

集団の中で規律と秩序を守るというのもそうだし、

「スポーツを通して何かを学ぶ」という姿勢は、世界で見ても日本にしかない考え方なのだ。

「部活」という制度もほぼ日本固有と言ってもいい(この辺はジンジャーの大学時代の研究分野である。もし違っていたら教えて欲しい)。

 

神様の御心通りにすれば、短所がなくなる。

 

聖書を学びながら、教えてもらった言葉である。

 

人は方向を間違えると恐ろしい。

日本民族は、全体の力で突き進めるから、特に恐ろしい。

 

日本民族が神様を正しく知って、

神様の考えで、ひとつになって、

究極の国になれると信じます。

 

僕のように、

チームで、学校で、生きづらい思いをしている少年少女たちがいるだろうか。

ようし、お兄さんが、聖書を教えてあげよう(怪しすぎ)。

 

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永遠に、野球がしたい。

 

 

 名古屋 主の栄光教会 ジンジャー