ジンジャークッキー

元々はフツーの人(どちらかといえば宗教嫌い)、今は名古屋にある主の栄光教会に通うサラリーマンです。ジンジャークッキーのように、優しい甘さの中にスパイスが効いた神様との日常を綴っていきます。

別の神宮

聖書を学ぶ前のことを思い出すことがあり、

昔のTwitterを見返していたら、結構面白かったです。笑

 

僕はジンジャー以外に、ラビッツという名前で投稿している野球ブログがありますが、

当時のことを思い出したこともあり、更新してみました。

 

少し長いので、時間に余裕ある時に、どうぞ!

lgcbaseball.blog.fc2.com

 

やはり、どのような形であれ、記録は残しておくべきですね〜

 

f:id:lgcginger:20211212204114j:plain

 

名古屋 主の栄光教会 ジンジャー

毎朝のティー(バッティング)。

野球には「ティー」と呼ばれる練習があります。

 

お菓子好きの僕は、

コーヒーよりも味を邪魔しない紅茶派なので、

「ティー」という言葉には敏感です。

 

そういえば、

イギリスで爆買いしてきたヨークシャーティーを、

先日、遂に飲み切ってしまった。。。

Amazonの輸入並行品でしか売っていない。。。そして高い。。。

 

ミルクに合い、濃くて若干渋みのある、

お値段お手頃な紅茶は何としてでも見つけ出すとして、

 

今日は紅茶の話ではありません。

 

ティー(バッティング)の話です。

 

 

我が中日ドラゴンズと優勝争いをしていた頃の、

阪神タイガース。

 

当時の助っ人外国人で、マートンという選手がいました。

 

ホームランこそ少ないものの、

走攻守の揃ったオールラウンダー選手。

 

特にバッティングは、

無理に引っ張る(外国人に結構ありがち)こともなく、

変化球にも対応してコンスタントにヒットを打っていたイメージです。

 

ちなみにジンジャーが大学生の頃、

友人と甲子園に阪神巨人戦を観に行ったとき。

 

巨人の澤村(現ボストンレッドソックス)が投げ、

マートンの打ったボールがスタンドにいたジンジャーのもとへ。

 

観客席に当たって勢いよく跳ね返ってきたボールでしたが、

自分でも「よく反応したな」と感心するほど、

無心に手を伸ばし、奇跡的に素手でキャッチしたジンジャー。

 

その時から、マートンには勝手に縁を感じています。笑

嬉しくて、中日ファンなのにマートンのTシャツ買いました。笑

 

そのマートンが、ある日、テレビで特集されていたことがあります。

マートンファンとしては見逃せないと思い観ていると、とても参考になりました。

 

マートンが試合前に特に重点的にやる練習が、他でもない、

「ティー」だったのです。

 

ティーバッティング、通称ティーとは、

滑車のついたゴムパイプ(高さ調節可)にボールを乗せ、

それをただ打つ、という練習。

 

「え、止まってるボール打って意味あるの」

あるんです。

僕も、子供の時にはわかっておらず、とても後悔しています。

 

球が速かろうが遅かろうが、

ピッチャーが投げ、ボールの軌道が見えた瞬間、

それに合わせたバットの振り方のイメージを瞬時に頭に描き、

そのイメージ通り、実際にバットが振れれば、当然ながらバットはボールに当たります。

 

問題は、イメージ通りに体が動かないこと。

イメージ通りに体が動けば、ボールが速くても、急に曲がっても、割と対応できます。

 

f:id:lgcginger:20210505162821j:plain

バッティングは特に感覚がズレやすい。


だからマートンは、

あらゆるコース、軌道のボールを想定してゴムパイプの位置、高さを調整し、

「ここにボールが来たらこう打つ」というイメージと、実際の体の動きの感覚を、

試合前にいつも確認していたそうです。

 

なぜなら、人間の感覚はいつもズレるからです。

 

今朝の、僕の祈りの感覚もズレまくりでした。

 

ズレていることにも気づかないでいると、

「まあ自分はこんなものだ。祈りは難しい。」で片付けてしまいがちですが、

今日、続けて祈っていると、

 

「ズレた感覚は毎日調整しなければならない。」

 

そういう風に考えが変わりました。

ああこれは神様が悟らせてくださったなと、感謝しました。

 

そこでマートンを思い出したわけです。

 

マートンの特集を観たのはだいぶ前、聖書を学ぶ前でしたが、

それを通して神様が僕に学んで欲しかったことは、

誰でも、毎日を生きる中で、感覚を続けて調整しなければならない、

ということだったのかなあと思います。

 

ズレた感覚を戻す中で、神様との経緯も生まれるのだと思います。

ズレなければ楽ですが、それだと人間味のカケラもありません。

 

「本当にすごいな」と思う人は、いつも変わらず行ない続ける人。

でもそういう人たちだって、毎日感覚がズレるのは例外ではありません。

その中ですべきことを毎日するのが、すごい。

 

毎日、地球が周るように、すべきことを行ないなさい。

 

ズレた感覚を戻す、というよりは、

その日の感覚の中で神様を探す、という意識かもしれません。

 

ズレるというのは言い換えれば、変化しているということ。

それを歓迎して、新しい姿で毎日、神様と出会えたらなあと思うわけです。

 

 

 

しかし、今年の阪神、強いなあ。。。

 

 野球の話題は別ブログへ移動しました↓↓

永遠に、野球がしたい。

 

 

名古屋 主の栄光教会 ジンジャー

1991

土曜日のブログを書いた翌日、つまり日曜日、 聖書を共に学んでいる人たちと野球をしました。

神様を学んだ上でスポーツできることに、いつも以上に感謝しました。

 

一つ思い出したことは、 例の怖かった監督が、チームを去った時のことです。

 

これまで練習には顔を出さなかったオーナーがコーチになるということで、 そのオーナーのことが嫌いだった監督は、「一緒にやりたくない」という理由でチームを退団。

僕たちコア・フォー(自称)が学年的にもチームの中心になり始めていた矢先でした。

 

オーナーのことは表向きで、もしかしたら、 僕らを指導する方向性がつかめていなかったのかもしれません。

 

僕の2つ年上の世代に対して、監督は殴る蹴る罵倒する、

少しぽっちゃりして走るのが苦手な選手は1日中ランニングさせ、

そして「先輩の命令は絶対」の時代でした。

選手もそれを受け入れていました。

 

しかし、僕の世代くらいからは様子が違ったのです。

個人個人を見ると実力のある年代っぽかったですが、 割とのんびりした、マイペースな感じでした(特にわたし)。

そして、その実力を引き出したくても、接し方がわからない。

殴る蹴る、という気にもなれない。のれんに腕押し、という感じ(表現が難しいですが)。

監督、そして2つ上の先輩にとって、僕たち(特にわたし)はそのような扱いづらい世代だったと思います。

僕のただのイメージなので、確かめる術はありませんが、結構当たっているんじゃないかなあと思います。

 

この世代間のギャップは、 大学時代のバイト先でも感じました。

僕は1991年生まれ、 2つ上は1989年、

1990年を境に、何かが変わったのではと勝手に思っています。

2000年は恐らく、もっと違うのかと。。。

 

f:id:lgcginger:20210421081425j:plain

いつも世代間の壁は予想以上に分厚い気がします。

 

監督の最後の日、 チーム内で2チームに別れて、お別れ試合をやりました。

 

ピッチャーは、監督、 キレキレのスライダーで、わたしジンジャーは空振り三振に終わりました。

今でもとてもよく覚えているのは、そのスライダーと、もう一つ。

 

その日の朝に監督に挨拶すると、 普段は鬼の形相だった監督が、最後のその日だけはとても穏やかな表情で、 「おはよう」と答えてくれたことです。

思わず監督を二度見するほどでした。

「ああ、監督はこういう人だったんだ」 初めて理解した気がしました。

 

「それなら、そういう監督でよかったのに」と今でも思っているのと、

自分のイメージで、監督を更に「怖い人」にしてしまっていたと気が付きました。

 

考えで怯えてばかりいると、恐怖心ばかりが大きくなります。 考えによって、誰かの表情も、必要以上に恐ろしく感じてしまうのだと思います。

その人の一部分だけ切り取って、その部分だけ拡大してしまうのは他でもない自分でした。

 

神様の愛で、その人に接しなさい。

 

聖書を学んでいると、過去のことが整理され、 人生の全ての瞬間で、神様が僕に何かを学ばせようとされていたことがわかります。

 

そしてこれからも、それは続いていきます。

 

愛というのは、まず理解するところから、

神様を誤解しないところから、気をつけたいと思います。

 

 野球の話題は別ブログへ移動しました↓↓

永遠に、野球がしたい。

 

 

 名古屋 主の栄光教会 ジンジャー

雨の土曜日は、セミダーツを思い出す。

f:id:lgcginger:20210417192244j:plain

通常、週末の雨はガッカリだが

 

「土曜日は一日中、雨の予報です。」

 

子供の時、この言葉を聞くのが何よりも嬉しかった。

普段はニュース番組なんて見ないのに、金曜日の夜の天気予報だけは欠かさず見ていた。

 

土日が雨なら、野球のクラブチームの練習が無くなるからである。

あってもジムに行ったりで、解散して自由になる時間は通常より早い。

 

クラスのみんなは金曜日になると、週末の休みに胸踊らせていたが、

僕のようないわゆる「クラブチーム組」は、

このまま平穏な学校にいたい、ああ、もう帰りの会だ、土日が始まってしまう。

そんな心境だった。

 

「じゃあ週末楽しんでね〜」

笑顔で帰りの会を終える先生にいっそしがみつきたい、

金曜日は毎週そんな感じだった。

 

日曜日のサザエさんが始まると、仕事始めの月曜日が心理的に急接近し憂鬱になるという、「サザエさんシンドローム」というのが世の中のサラリーマンにはあるそうだが、

僕は「帰りの会シンドローム」だった。

 

とにかく監督が怖い。

そして先輩が怖い。

小学校はまだゆるい部分もあったが、

中学校になると世界が違ったのをよく覚えている。

 

「先輩の命令は絶対」

という風習が僕の時代にはギリギリ残っており(今もあるところにはあるだろうが)、

僕は幸いにもちょっとだけ上手かったのであまりターゲットにされなかったが、

チームメイトの一人は先輩のデコピンの練習台にされていた。

 

デコピンならまだマシである。

 

他のチームでは、「セミダーツ」が流行していた。

 

みなさん、わかるだろうか。

「セミダーツ」。

 

後輩を直立不動にさせる

口を開けさせる

先輩が、開いた口をよーく狙って、セミの死骸を投げる

 

被害者は僕の小学校時代のチームメイトで、

加害者はそのチームのエースピッチャーである。

 

名古屋では割と有名な軟式少年野球チームだが、エースピッチャーがそんなことしてるくらいなのでたかが知れてる。

ちなみに僕はそのエースピッチャーと小学生の時に対戦したが、初球をヒットにした。

セミの死骸を投げて威張っているくらいだから、大したことはない。

 

いま会えるなら、

「セミなんか投げてるからボールも軽くなるんだと思いますよ」と言ってやりたい。

いや待てよ、それは神様はどう思うのだろう。。。

 

とにかく、そんな少年野球界がほとほと嫌だった。

 

高校野球界はさらに凄まじく、

強豪校にもなると、先輩に部室裏に連れて行かれ、

帰ってくる頃にはボコボコ、流血、ということは普通なのだとか。

恐らく、このご時世、減ってきてはいるだろうが。

 

中学校を卒業する頃には嫌気がさして、高校は野球を辞めた。

しかし野球は好きだった。

 

何が嫌だったかと言うと、

スポーツを通して根性を鍛える(これ自体は素晴らしいと思う)、

その鍛え方があまりに奇妙だった。

 

「先輩の命令は絶対」という独自の理論に基づくセミダーツは論外だし、

 

監督も監督だった。

選手に厳しく当たるのを悪いとは思わないが、暴力だけは理解できなかったし、

 

真摯に選手に接しているというよりは、

自己満足でやっているような人もいた。

 

ある監督は、

たくさん声を出して頑張っていた僕のチームメイトを、

「あいつはただの号令役だから」

と言い放った。

 

そのチームメイトは、監督から好かれるタイプではなかったが、

頭の回転は早く、表現が尖ってしまう短所はあるが、的確なことを言葉にしてチーム内の誰に対しても伝えてくれる貴重な存在だった(だからチームの正捕手だった)。

 

表現の一部を切り取ってしまっただけで、真意は違ったのかもしれないが、

当時の僕にとって、

いい大人が、冷たい表情で「あいつはただの」と、一人の中学生を短絡的な言葉で表現したことがショックだった。

 

「号令役」のキャッチャーである彼、

抜群のコントロールと緩急を持ったピッチャーの友達A

後に野球で有名な私立高校に行くことになる友達Bがセンターを守り、

そしてショートを守る、わたくしジンジャー。

 

自分で言うのはなんだが、

僕の年代はセンターライン(野球の要と呼ばれるポジション)がしっかりしており、結構強かった。

 

そして四人全員、小学校から同じチームで苦楽を共にしてきた仲間だった。

 

愛知県レベルで見たら全くの低次元だったが、

まるでヤンキースのコア・フォー(わかる人にはわかる)みたいで、当時から密かに自負心を持っていた。

 

しかし、みんな嫌気がさして、そのチームを辞めた。

先輩たちが行けなかった県大会に、おれたちなら行けるんじゃないかと思っていたが、

コア・フォーはバラバラになった。

「号令役」のキャッチャーはその時点で野球を辞めた。

 

 

日本は、子供の頃から、「先輩」や「監督」がでーんと世界を遮っているように思う。

「人」の存在感が大きすぎるのだ。

 

最大の短所であると同時に、しかしながら、それが最大の長所でもあると思う。

 

集団の中で規律と秩序を守るというのもそうだし、

「スポーツを通して何かを学ぶ」という姿勢は、世界で見ても日本にしかない考え方なのだ。

「部活」という制度もほぼ日本固有と言ってもいい(この辺はジンジャーの大学時代の研究分野である。もし違っていたら教えて欲しい)。

 

神様の御心通りにすれば、短所がなくなる。

 

聖書を学びながら、教えてもらった言葉である。

 

人は方向を間違えると恐ろしい。

日本民族は、全体の力で突き進めるから、特に恐ろしい。

 

日本民族が神様を正しく知って、

神様の考えで、ひとつになって、

究極の国になれると信じます。

 

僕のように、

チームで、学校で、生きづらい思いをしている少年少女たちがいるだろうか。

ようし、お兄さんが、聖書を教えてあげよう(怪しすぎ)。

 

 野球の話題は別ブログへ移動しました↓↓

永遠に、野球がしたい。

 

 

 名古屋 主の栄光教会 ジンジャー