おいしいシリーズ:味のある思い出をおいしい食べ物と一緒に回顧するシリーズ。
大学生一年生の時、
研究の基礎を学ぶ、メンバー固定の授業があり、
僕のクラスの担当になったK先生は、本当に強烈な人だった。
まず、授業が始まるとひたすら話し始めるのだが、
話が高次元過ぎてよくわからない。
そして唾が飛ぶ。
たくさん飛ぶ。
初学期をテキトーに過ごし単位を落としていたジンジャーには目をつけており、
よく一番前に座らされていたわたしの手に、容赦なく唾が飛んできた。
「そこを考えなきゃダメなんだよ」
最後の「なんだよ」の部分で、両手をこめかみの前に持ってきて、
大学入りたての僕たちを両手で指さす。
そして口の両端から空気が漏れるのか、ドナルドダックのような滑舌。
モノマネして欲しいと言われればすぐに出来るくらい、今でも鮮明に記憶の中に残っている。文章でしか伝えられないのがあまりにも口惜しい。
あまりにも強烈だったのは、振る舞いだけではなくて、
本質を突くような考え方だった。
班に分かれてプレゼンしようものなら、
「わかってねえなあ〜〜」
と、ひたすら突っ込まれる。
前に立たされたまま何も言い返せず黙り込むぴちぴちキラキラの僕たち一年生。
「自殺は何でダメなんだ?」
何の脈絡もなく、唐突にこういう質問を投げかけてくるから、さらに油断できない。
(今考えると、表面的なテーマばかり考えるのでなくて本質的な問題を見ろ、ということだったのかもしれない。)
「別に本人の自由なんだからいいだろう、自殺しても。」
さらに黙り込む、ぴちぴちキラキラの僕たち一年生。
超個性派の人で、毎回授業は異様な雰囲気に包まれたが、個人的に悪感情を抱くことは無かった。
実際、後程わかったことだが、その学問の分野では「権威」と呼ばれていた先生だった。
偉大な教授として、他の先生も敬意をあらわしていた。
そんな先生に、一年間の総まとめのプレゼンをする日がやってきた。
何を突っ込まれても話せるように、班の人と徹夜で原稿を仕上げた。
発表後、
いつもは子供扱いするように「何言ってんだ?」とニヤニヤするはずの先生が、
初めて真顔に。
突っ込まれたことに回答すると、
一言、「そうか。」
徹夜した努力が実ったのか、考えられない程のあっけなさだった。
その日の発表は時間が遅く、残っている生徒は僕の班の人ぐらいだったのもあり、
K先生は「ひとり千円までだからな」と言って、くら寿司に連れていってくれた。
千円という限られた中で、
値段の高い寿司を数皿食べるべきか安めのものを多めに食べるべきか考えていると、
「最後にお前らに言っておくことがある」というような口調でK先生は話し始めた。
「おれは長いこと研究に携わってきて、教授にまでなった。今でも研究してる。」
K先生は続ける。
「しかし、だ。長いこと研究を続けてきて、わかったことは二つだけだ。何だと思う?」
普段なかなか食べられない寿司をほおばりながら、みんな「知らん。」という顔をしていたが、この時のK先生の一言は僕の忘れられないものとなった。
「一日は24時間あるということ。そして、人間は死ぬということ。この二つだ。」
僕は心底、
「え。あったりめーじゃん。」と思った。
「数十年も研究して、わかるのってそれ?」
あまり真剣には聞いていなかったが、不思議と心に残り、
それ以降の僕の人生で、この場面が事あるごとにフラッシュバックすることとなる。
昨日も、会社で話したお客さんが、
「絶対なんてねえよ。絶対なんて、人間が死ぬことくらいだ。」と言っていたのを聞いて、その時のことを思い出した。
K先生は大学教授、
昨日会ったお客さんは不動産会社の社長だったが、
どの分野でも、恐らく感じることは同じなのだと思う。
人間が死ぬこと。一日が24時間あること。
モノから手を離したら落ちること。
物質はいつかなくなること。
神様を信じるかどうかは別として、「絶対性」というのは、
人間が言うこと、やることの中には存在しないということを、認めざるを得ないのだと思う。
この事実に直面した時、人はどうするのだろう。
K先生とはそれ以来、話すことはなかった。
同じ大学にいたにも関わらず、道でばったり会う、ということもなかった。
「絶対性」が無く、「わからない」と、人は怖くて、揺れ動く。
アルコールなどの依存症とまではいかなくても、
誰もが大なり小なり、「こわい」現実から逃避したがっているのだと思う。
人は見えるものに絶対性を無理やり見出してしまうのかもしれないし、
「おれは怖くない」と言って生きている人でも、死に直面したらわからない。
ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲がってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
-ヨシュア記1章7節-
僕が聖書を学んで強く感じたことの一つが、
人間が死ぬこと、時は戻せないこと、万有引力など、
これらの法則を創った創造主神様にしか、「絶対性」は見出せない、ということだ。
「絶対性」の中に生きた時に、揺れ動かず、人は本当の意味で強くなれる。
ヨシュアのように大胆であれる。
人間に絶対はない。
神様を信じても信じなくても、その事実には必ずぶち当たる。
だからこそ、多くの人に、
神様を正しくわかって信じて欲しいと思う。
名古屋主の栄光教会 ジンジャー