「命をかけて忠誠を尽くす姿」って、
人として一番美しい、芸術のような姿なのだと思います。
(もちろん方向間違えたらトンデモナイことになりますが。。。)
子供の頃から、江戸時代末期の武士たちに憧れを抱いたのは、
みんな「命をかけて何かに忠誠を尽くしていた」からでした。
特に「忠誠」と聞くと、どうしても新撰組を思い出してしまいます。
江戸時代末期、治安の悪くなった京都を警備するために、
幕府が正式にお金を出して結成した武装集団です。
「誠」って書いた旗を持った、あの人たちですね。
組織づくりを担当した土方歳三は、
様々な地域から寄せ集められた隊員たちを統制し、
「本物の武士の集団をつくろう」という思いがあったみたいで、
局中法度というルールを作ります。
これがすごくて、
会社の規律とかだと「破るとクビ」ですが、
局中法度は破ると本当にクビが飛びます。
誰であっても、「破れば即、切腹」。
ただ、組織の戦闘能力は極めて高かったみたいです。
しかし、
組織の向かう先が既に時代遅れ&規律が厳し過ぎて、
夜逃げする人は多かったのだとか。
組織を脱退することは局中法度違反なので、
内部で刺客を差し向けられて、粛清。
新撰組隊士全体の死因を割合で見ると、
「局中法度を破ったことによる内部粛清」が半分以上だったそうです。
「お前ら忠誠尽くさなかったら、わかってるよな」
短期的には、みんなものすごく忠誠尽くすかもしれません。
でも、例えば、
誰からも顧みられることのない仕事に対して、どのように忠誠を尽くせるでしょうか。
短期的にではなく、長期的に。
すべての仕事を、ご馳走を食べるようにしてやりなさい。
すべての仕事を、恋愛をするようにしてやりなさい。
聖書を学ぶ中で教えてもらった言葉です。
神様のために何かすることも、別に誰かからやれと言われてやることではありません。
知らない時はもちろん教えてもらってやりますが。
そのことが好きなら、死んでもやります。
ならば、「やれ」と自分に言い聞かすよりもまず、
そのことを好きになる努力が先決だと思います。
初めから好きなら問題ありませんが、
神様のことは特に、努力しないと好きになれないと思います。
神様の心?まず、姿すら見えない。
朝祈る?眠い。
「これ、やれ!」
と言われてやる方が、まだ楽なのかなと。
思考停止させて、それをやればいい。
ふとすると無機質なルーティーンになってしまう日々の行いを、
いかにご馳走にするか、恋愛にするか。
思考停止していては絶対に辿り着けないと思います。
そして気づいたら自分の中で、
「こうなければならない」という変なルールが。
あれ、これ、局中法度じゃん。。。
自分で苦しくなって、
いつの間にか現実から逃げようとしとる。。。
わたし、今日から恋愛組隊員になります!
名古屋 主の栄光教会 ジンジャー