ジンジャークッキー

元々はフツーの人(どちらかといえば宗教嫌い)、今は名古屋にある主の栄光教会に通うサラリーマンです。ジンジャークッキーのように、優しい甘さの中にスパイスが効いた神様との日常を綴っていきます。

モンキー・D・ルフィよりも

f:id:lgcginger:20210404202644p:plain

海賊になって大海原へ飛び出したかった


子供の頃、ルフィになりたかった。

正確に言うと、麦わらの一味に入れて欲しかった。

小学校を辞めて海賊になろうと、

ウソップの武器を真似たパチンコを祖父に作ってもらった。

ウソップハンマーならぬゴムハンマーをカーマで買ってきてカバンに詰めて、ある日冒険に出掛けた。

いつも友達と遊んでいる広場に行ってみたらみんながいて、カバンの中を見られ、

「ハンマー何に使うの?」と友達が不思議がっていたので恥ずかしくなって家に帰った。

冒険は終わった。

 

パチンコも、ウソップハンマーも、攻撃の用途としては結局一度も使われていない(使われないで良かった)。

 

昔、捨てようとしたが、母親に止められ、

そのまま実家の押し入れにしまわれていたのを、

こないだ帰省した時に偶然見つけた。

 

ふと、思った。

私は何をしたかったんだろう。

まさかパチンコで必殺火炎星を飛ばそうとしたわけでもなく、

ウソップハンマーで誰かを撃ち倒そうとしたわけでもない。

 

麦わらの一味のように「信念」を持って、

自分の足で生きてみたかったのだ。

ということに気がついた。

 

小学校の時から、敷かれたレールをただ行っているような感覚はあったし、

そもそも「信念」とは何かが疑問だった。

 

彼らが活躍する漫画、ワンピースによく登場する、「信念」という言葉。

 

母親に「信念てなに?」と聞くと、

「何かを信じる心だがね。」と言われたが(だがね、とは名古屋弁である)、

 

いったい何を信じればいいんだ?

 

子供の頃から疑問だった。

 

まさか自分のことは信じれないし(昔から自分には自信がなかった)、

でもルフィたちは、

「おれは○○になる!」と自分自身を信じ切っている。

 

そんな風に自分のことは信じられない。

けど、そう生きるしか無い。

だって私は麦わらの一味なのだから(?)。

 

だから、「プロ野球選手に自分はなる」と信じてみた。

 

しかし数年も経たないうちに、

プロに行けるのは選ばれたほんの一握りの人たちのみ、ということに気がついた。

その後、中学で同じチームだった同い年がプロ野球選手になったが数年で解雇されたことで更にそれを強く感じた。

 

大学に入ってもひたすら悩んだ。

 

悩んだ末に、聖書に出会い、

神様というものを学んだ。

 

それはすなわち、自分を学ぶことと同じだった。

 

聖書を教えてもらい、それを実践する中で、

「自分は神様を愛するために創造されたのだ」と信じるようになった。

 

人生で初めて、「信念」ができた。

海賊になる必要はなかった。

 

何か特別な存在になろうとするのではなく、

「自分は自分のまま、努力していけばいいのだ」と思うようになった。

 

各自、個性はあれど、

「神様という存在に創造された自分という一人の人間」、

その大前提があれば、私はルフィよりも自由だった。

 

そのことを忘れて、今でも辛くなることがある。

でもそんな時こそ思い出したい。

 

ルフィは一種の、社会が求めている理想像のひとつだと思う。

そのルフィよりも、私は自由だと胸を張って言える。

 

普通のサラリーマンで、これといって特技はないが、

ルフィよりも強い信念を持っていると自負している。

 

神様、感謝します。

 

名古屋 主の栄光教会 ジンジャー